古い地図に載っている矢野口の渡船場
当サイトでは、多摩川右岸の筏道を六郷橋から歩いてくると、終点は矢野口の渡船場です。
そして、いくつかの古い地図を見ると、矢野口の渡船場の場所が違っていることに気づきます。
そこで矢野口の渡船場の、年代ごとの場所の違いを作成しました。
明治中期 舟が描かれている
つぎの地図では渡船場にある小舟と、小舟の後ろにある船頭小屋が確認できます。
明治39年 川の中に道がある
多摩川の中に道が描かれています。
明治45年 舟と川の中の道
つぎの地図では、矢野口の渡しの左側に小舟が描かれています。
この地図にも多摩川の中に道が描かれていることから、川の水が少ない時期のものです。
大正6年 現在の渡船場碑の場所になる
つぎは大正6年の地図です。
この地図の渡船場の場所は、現在の矢野口の渡船場跡碑の場所と同じです。
矢野口の渡船場は、この場所が最後の移動位置でした。
この数年後に、多摩川原橋が掛けられたのです。
矢野口の渡船場位置の変遷一覧
そして、矢野口の渡船場の場所をまとめました。
こうして見ると、矢野口の渡船場は大きく移動したということがわかります。
矢野口の渡船場と「たとう様」
最後に、当サイトでは明治39年の地図を使っていますので、明治39年の矢野口の渡船場と、たとう様の位置関係を示します。
この場合、たとう様の場所は、現在の位置にしました。
そして「たとう様」とは、多摩川の水害から被害を「断つ」という思いから、地元の人達によってお祀りされた水神様だそうです*1。
当サイトで引用した資料には「菅の多渡様」と記されています*2。
*1:菅町会 たとうさま https://sugechoukai.com/2019/11/29/986/