多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

登戸の渡しから甲州街道までの筏道で見つけた話

 

話のいどころ

 

それぞれの話

1.水神社

ここは六郷用水の取入れ口のすぐ近くです。

水神社としっかり彫られた大きな石柱と対称的に、目の前にはこじんまりとした鳥居があります。

そしてこの神社には、水に因んだ神様が祀られているそうです。

きっと、六郷用水の守り神だったのでしょう。

 

2.六郷用水取入れ口の碑

一枚目の写真を見て、六郷用水は横断歩道のあたりを右方向へ流れていました。

それは明治時代の地図を見ると、六郷用水の流れがよくわかります。

二枚目の写真は、この碑に貼り付けてある案内です。

案内にある川と岸辺が映っている写真は昭和初期のもので、六郷用水取入れ口の姿を見ることができます。

説明によると、ここの取入れ口は昭和40年に埋め立てられたそうです。

 

3.玉川碑(万葉歌碑)

六郷用水取入れ口の碑から、眼の前の万葉通りを歩いて来ると、この歌碑があります。

歌碑には次の歌が刻まれています。

万葉集』巻14の東歌の一首
多摩川に さらす手作り さらさらに 何そこの児の ここだ愛しき」

引用:玉川碑(万葉歌碑) | 狛江観光ガイド|狛江市観光協会公式サイト

「さらす手作り」というのは、布を多摩川で晒している様子ですね。

この近くの地名には、染地、布田、調布など、布にからんだ名前が多くあります。

むかし昔から、この土地は布に関係していたのです。

 

4.「旧品川みち」との合流点

イラストの右側の道は筏道です。

左側は「旧品川みち」です。

そしてここは、古い二つの道の合流地点でした。

古い道筋は残っていたのです。

 

5.小高い場所

筏道と「旧品川みち」の交流地点から少し行くと、こんなところに出ます。

写真では坂の傾斜のイメージが出ていませんけど、そこそこ急です。

明治時代、ここは土の崖でした。

 

6.山谷庚申塔

山谷庚申塔は「さんやこうしんとう」と読みます。

ここの案内によると、江戸時代、この辺りは山谷(さんや)と呼ばれていました。

山谷にある庚申塔なので、山谷庚申塔という名前になったのです。

そして明治時代の地図を見ると「散家」と記された場所もあります。

この辺り、古い時代は人家も少なかったのでしょう。

 

7.「旧品川みち」の案内

イラストの右側が「旧品川みち」です。

目の前にある柱には「いかだ道」とも記されていました。

そして調布の町には「いききの道」という古い道もあります。

この町には、昔からの道筋がいくつも残っています。

 

8.庚申塔

大きな木の下にあるのは、庚申塔(こうしんとう)の祠です。

庚申塔の前の道が、古い甲州街道です。

登戸の渡しから歩いて来た筏乗りたちはこの庚申塔まで来て、やっと甲州街道へ着いたのです。

そして筏乗りたちは、ここから府中を目指して歩きました。

 

9.「旧品川みち」の案内

「旧品川道」と表記する場合もあります。

ここ調布市では「旧品川みち」と案内しています。

それは「道」を「どう」と言わないようにする工夫なのでしょうか。

この場所にいると、「旧品川みち」にはクルマも無く、のんびりした空気が漂っていました。

 

 記 事 ペ ー ジ 

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