多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

右岸筏道で見つけた話 登戸の渡し 〜 稲田堤

 

話のいどころ

 

それぞれの話

3.バス停 和泉

和泉(いずみ)という地名は、東京都世田谷区にもあります。

ではなぜここに「和泉」という名前のバス停があるのでしょうか。

その昔、ここは世田谷村の一部でした。

よくいわれる「飛び地」です。

 

昔の多摩川では何度も大水が出て、そのたびに流れの形が変わってしまいました。

いままであった陸地が川になって、川だったところが陸地になったのです。

 

そして今、昔の「飛び地」は、そのままバス停の名前になって残りました。

このバス停から見た多摩川の岸辺には、いまでも「和泉」という場所があります。

そして、多摩川の向こう岸は、もちろん世田谷区和泉です。

 

多摩川の大水で、川の形が変わってしまった記事を載せました。
多摩川が蛇行した旧流路を資料で見る」>> リンク先へ

 

4.現存する川崎の筏道

ここは筏道という言葉を知った場所です。そしてこの道を何度も歩きました。

つぎは、ここにある案内の説明の一部です。

道がよくなり、トラックで物を運ぶようになると、
しだいに筏流しも見られなくなりました。
この道は、筏乗りが筏を六郷まで運んだ帰りに
通った道のことで、川崎市に現存する唯一の筏道です。

 

5.地名の由来「中野島」

読み方・・なかのしま

地名辞典には次のようにあります。

文字通り多摩川の「中の島」に形成された村の意、野は宛て字である。

《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・下』,p108

 

6.地名の由来「布田」

読み方・・ふだ

甲州街道の布田五宿のうち上布田宿・下布田宿の地名がもとである。街道に置いては京寄りが上、江戸寄りが下である。この地域では多摩川の流れの上・下とそれが一致する。

《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・下』,p115

 

7.上河原堰提(かみがわらえんてい)

明治時代の地図にも、上河原堰提と表記がありました。

多摩川で見る風景のなかでも、この場所は印象に残ります。

 

8.稲田堤の桜

すぐ先の橋は「ピクニック橋」という名前です。

なんだか楽しそうな名前ですね。

そしてピクニック橋のたもとにあるこの案内には「稲田堤の桜」という題名がありました。

明治時代、この堤防一帯に桜の木を植えました。

桜の木は大きくなって「稲田堤の桜」と呼ばれるくらいの名所になったそうです。

桜見物のお客さんは、多摩川を越えて東京からも大勢来たということです。

 

9.ピクニック橋

向こうに見えるのは、上河原堰堤(かみがわらえんてい)です。

ピクニック橋の名前に合わせたようないい天気だと、こんなふうに見えますよ。

そしてここは、多摩川のサイクリングコースにもなっています。

この橋の詳しいことは、地元の新聞『タウンニュース』の記事にありますのでリンクしておきます。

タウンニュース 記事名:思いつなぐ「ピクニック橋」

 

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「右岸の筏道で見つけた話」のいろいろ

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