登戸の渡し ~ 稲田堤
話のいどころ
それぞれの話
4.現存する川崎の筏道
ここは筏道という言葉を知った場所です。そしてこの道を何度も歩きました。
つぎは、ここにある案内の説明の一部です。
道がよくなり、トラックで物を運ぶようになると、
しだいに筏流しも見られなくなりました。
この道は、筏乗りが筏を六郷まで運んだ帰りに
通った道のことで、川崎市に現存する唯一の筏道です。
5.地名の由来「中野島」
読み方・・なかのしま
地名辞典には次のようにあります。
文字通り多摩川の「中の島」に形成された村の意、野は宛て字である。
《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・下』,p108
6.地名の由来「布田」
読み方・・ふだ
甲州街道の布田五宿のうち上布田宿・下布田宿の地名がもとである。街道に置いては京寄りが上、江戸寄りが下である。この地域では多摩川の流れの上・下とそれが一致する。
《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・下』,p115
7.上河原堰提(かみがわらえんてい)
明治時代の地図にも、上河原堰提と表記がありました。
多摩川で見る風景のなかでも、この場所は印象に残ります。
8.稲田堤の桜
すぐ先の橋は「ピクニック橋」という名前です。
なんだか楽しそうな名前ですね。
そしてピクニック橋のたもとにあるこの案内には「稲田堤の桜」という題名がありました。
明治時代、この堤防一帯に桜の木を植えました。
桜の木は大きくなって「稲田堤の桜」と呼ばれるくらいの名所になったそうです。
桜見物のお客さんは、多摩川を越えて東京からも大勢来たということです。