登戸の渡しからの順路を描く
引用文献にある記述
多摩川右岸の順路作成には、参考資料『多摩川の筏流し』の内容を引用しました。
そのなかの登戸の渡しの場面に、右岸から左岸へ渡る記述がありましたので、次に示します。
それから二子の筏宿・亀屋に寄って一休みし、川沿いの道を選んで、宿河原堰のところから登戸の渡船場に着く。
上述のようにここで左岸へ渡る者もあったが、さらに先へ行く者は、中野島のカリタス学園の中を突つ切るような形で
上の引用には “ ここで左岸へ渡る者もあったが ” とあります。
そこで登戸の渡しから甲州街道を目指す順路を探ってみることにします。
つぎのように作りました。
- 最初に全体の順路図を示し、そのあとは分割した順路図です。
- 分割した順路図には、明治期の地図に示された地区名を入れました。
明治期の地図で作る順路
全体図
まず最初に、明治期の地図を使って設定した順路の全体図を示します。
筏道が甲州街道と出会う場所は、布田五宿の一つの「国領」です。
分割1 登戸の渡し ~ 和泉地区
ここからは全体の順路を三つに分割して示します。
次の地図は、その一つ目です。
範囲は地点イ〜ロです。
登戸の渡しから六郷用水取入れ口までは、土手の上を歩きます。
分割2 和泉地区 ~ 矢ケ崎地区
範囲は地点ロ〜ハです。
筏道は左側の草地よりも、いくらか小高くなっています。
この範囲は右側は集落で、左側は一面の草地です。
分割3 矢ケ崎地区 ~ 甲州街道
範囲は地点ハ〜二です。
この周辺は集落です。
甲州街道へたどり着いた筏乗りたちは、甲州街道を歩いて府中を目指しました。