多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

筏道は羽田から奥多摩まで

左岸と右岸の筏道全体を地図で見る

多摩川の筏道の全体はどうなっているのでしょうか。

つぎの地図は多摩川の筏道の全体図で、土地に高低差を付けたものです。

まだ鉄道が使えなかったころ、筏乗りたちは、この道を歩いて帰りました。

歩いた筏道は、多摩川の左岸と右岸にありましたので、当サイトでは左岸と右岸のそれぞれの筏道について述べます。

 

左岸の筏道

上の地図で、左岸の筏道の出発地点は大田区の羽田で、帰着地点は奥多摩町の棚沢です。

帰着地点を奥多摩町の棚沢にしたのは、別のページ「明治20年・筏乗りの人数と出身の村」*1 で引用した資料にある村の名前からです。

左岸の筏道は、府中市内の大國魂神社前を経由して、奥多摩町の棚沢まで76kmになります。

左岸の筏道の距離については、資料によると16里*2、現在の64kmだったという説明がありますが、これは筏乗りたちが帰る奥多摩の場所をどこにするのか、また途中の順路の設定によって違ってきます。

 

右岸の筏道

そして右岸の筏道ですが、当サイトでは六郷橋から矢野口の渡しまでの23kmとしました。

右岸の終点を矢野口の渡しまでとした理由を示します*3

  • 多摩川の岸には、いくつもの「渡し場」がありました。
  • 「渡し場」とは、多摩川の左岸と右岸を行き来する渡し船の留め置き場です。
  • 川崎市登戸にも「登戸の渡し場」という渡し場がありました。
  • 資料を読むと、この「登戸の渡し場」から、筏乗りたちが左岸へ渡って府中を目指して歩いた、とあります。
  • 「登戸の渡し場」から上流にも、いくつもの渡し場がありました。
  • そのなかの一つに「矢野口の渡し場」があります。
  • 現在「矢野口の渡し場」跡には、記念碑が建ててあります。
  • そして、当時の繁華街、甲州街道の「布田五宿」の入り口にいちばん近い渡し場が「矢野口の渡し場」でした。

 

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*1:明治20年・筏乗りの人数と出身の村

*2:福島和夫,2012,福島和夫,『多摩川最後の筏乗り 高野近太郎翁の聞き書き』,p22

*3:平野順治,2008,大田区郷土の会,『多摩川の筏流し』,p237