引用させてもらった文献
筆 者:平野順治
発行年:2008年
発行者:大田区郷土の会
書 名:『多摩川の筏流し』
記事名:「川崎側の筏道」
ページ:236-237
選んだ理由1: 左岸の資料と同じ筆者
左岸の筏道で参考にさせてもらった資料は、大田区発行『史誌12』の「消え行く筏道 ある歴史の時間のなかで」です。
その筆者は平野順治氏です。
そこで右岸の順路作成に使う資料も平野順治氏の書籍にしました。
理由は、同じ著者による内容の統一ができるからです。
選んだ理由2: 記載内容は六郷橋から矢野口の渡しまで
この文献には、多摩川右岸の筏道順路が書かれています。
その順路とは、川崎側の六郷橋から出発して、平間、二子、登戸、そして矢野口の渡しまでです。
文献のなかで引用する具体的な箇所
つぎは文献の中で引用する部分です。
川崎の旅籠に泊まった筏乗りの中には、少し遠道になるが、多摩川右岸を歩いて行く者があった。
まず六郷橋の近くから土手伝いに平間に出る。その先は無堤防なので、丸子、小杉、宮内と府中街道を歩き、北見方の長崎堤防を通って、諏訪の一本松のところに出る。それから二子の筏宿・亀屋に寄って一休みし、川沿いの道を選んで、宿河原堰のところから登戸の渡船場に着く。上述のようにここで左岸へ渡る者もあったが、さらに先へ行く者は、中野島のカリタス学園の中を突つ切るような形で歩き、野土呂堰から取り入れた二ヶ領用水を越えて、桜の名所・稲田堤に出る。そして菅の多渡様(堤防上の小祠)付近から、矢野口の渡しを利用して、調布の町へ入って行った。(角田益信「中野島の筏道」参照)
引用する箇所を場面ごとの5つに分ける
この引用文を五つに分けました。
理由は、文献の内容を地図で表す場合、場面ごとに分けるほうが、わかりやすいからです。
次は五つに分けた内容です。
1)
まず六郷橋の近くから土手伝いに平間に出る。
2)
その先は無堤防なので、丸子、小杉、宮内と府中街道を歩き、北見方の長崎堤防を通って、諏訪の一本松のところに出る。
3)
それから二子の筏宿・亀屋に寄って一休みし、川沿いの道を選んで、宿河原堰のところから登戸の渡船場に着く。
4)
上述のようにここで左岸へ渡る者もあったが、さらに先へ行く者は、中野島のカリタス学園の中を突つ切るような形で歩き、野土呂堰から取り入れた二ヶ領用水を越えて、桜の名所・稲田堤に出る。
5)
そして菅の多渡様(堤防上の小祠)付近から、矢野口の渡しを利用して、調布の町へ入って行った。
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