- 1.「料亭やなぎや」と「大山道石標」
- 2.丸子川を背にした「南大山道道標」
- 3.筏宿をしていた「池田屋」
- 4.地蔵店(じぞうみせ)があった場所は駅ビル
- 5.諏訪神社の境内にある「筏道石標」
- 6.二子玉川駅の近くの「江戸道石標」
- 7.昔このあたりは岸と呼ばれたので「岸橋」
- 8.岸橋の名前を刻んだ「岸橋石標」
- 9.喜多見の「念仏車」
- 10.「知行院」前はメインストリート
- 11.野毛の渡し跡
話のいどころ
それぞれの話
1.「料亭やなぎや」と「大山道石標」
二子玉川駅の近く、料亭「やなぎや」の看板の下に大山道石標はありました。
大山道とは、その昔、江戸赤坂から神奈川県伊勢原市にある大山を目指して歩いた道のことです。
そして大山道と筏道は、ときどき重なることがあります。
ここもその一つでした。
2.丸子川を背にした「南大山道道標」
大山道は、この道標の前の路地を入って現在の二子玉川駅近くまで、まっすぐの道でした。
丸子川に沿って続いている筏道は、この先の調布橋で駅の方角へ曲がっています。
そしてここは、筏道と大山道が交わるところ。
道標は、ここを歩く人々を見守るようにして建っていました。
3.筏宿をしていた「池田屋」
今は酒屋さんですけど、筏乗りたちを泊める筏宿(いかだやど)もしていました。
昔の名前は「甚造店」(じんぞうみせ)といいます。
「筏乗りたちは多いときで、40人くらい泊まった」と、店主さんは話してくれました。
次は池田屋さんの名前が出てくる引用です。
多摩川沿いの道を歩いて奥多摩まで歩いて帰りました。この道が筏道で、また彼らがぬれた衣類を乾かしたり、疲れた身体を休めるのに宿泊する場所として筏宿がありました。下野毛近辺でも、そばや(現関根商店)、甚蔵店(現池田商店)がありました。
《引用文献》世田谷区総務部文化課編集,1991,世田谷区総務部文化課,『ふるさと世田谷を語る 野毛・上野毛』,p34
その池田屋さんのホームページです
4.地蔵店(じぞうみせ)があった場所は駅ビル
このビルの場所に筏宿(いかだやど)がありました。
屋号を「じぞうみせ」と言います。
「じぞうみせ」の名前の由来が書かれたものがありましたので引用します。
地蔵店は大きな筏宿で、川下げの途中で筏乗りがよく泊まったところです。最近まで古い建物が残っていましたが、ビルに建て替えられ、大正蔵という小さな蔵に二本の檸の木だけが、わずかに面影をとどめています。
ここは筏道と江戸道とが交わる地点で、二子の渡船場へも通じており、瀬田村の有志が建てた水難除地蔵尊があったところから、地蔵店の屋号が生まれたといいます。
《引用文献》平野順治,1979,東京都大田区,『史誌 第12号』,p19
5.諏訪神社の境内にある「筏道石標」
筏道の石標は、神社の鳥居をくぐってすぐ右にあります。
境内の真ん中には、大きなイチョウの木が葉を広げていました。
ここはいつ来ても静かな場所です。
6.二子玉川駅の近くの「江戸道石標」
この二子玉川駅前の歩道には、古地図がはめ込まれています。
ここで見ていると、忙しく歩き去る人たちでいっぱいですけど、いちどしっかりと、歩道の地図を見てはどうでしょうか。
7.昔このあたりは岸と呼ばれたので「岸橋」
丸子川に掛かるこの岸橋から少し先が多摩川の土手です。
当時、野毛のこの辺りは「岸」と呼ばれました。
明治時代の地図を見ると、この辺りは多摩川の流れが複雑に曲がっています。
そのために、緩やかな流れのところが多くあったのでしょう。
多摩川の上流から流れてきた筏は、この流れの緩やかなところで係留しました。
そこでここを「岸」と呼ぶようになったのです。
8.岸橋の名前を刻んだ「岸橋石標」
岸橋石標は、岸橋から数メートル坂を登ったところにあります。
わざわざ石標を建てるということは、岸橋は由来のある橋なのです。
はたして、ご近所でどれだけの人が、この石標に気付いているのでしょうか。
9.喜多見の「念仏車」
ここは筏道と中道との交差点。
ここには小さな祠(ほこら)があり、庚申塔とお地蔵さんを祭っています。
筏乗りたちは、ここで帰り道の安全を祈って念仏を唱えたそうです。
次はその様子です。
この筏道が世田谷通りに突き当たる少し手前の三叉路に、お地蔵さんと青面金剛をいっしよに祀った小さな祠があり、そのそばに「念仏車(ねんぶつぐるま)と呼ばれる高さ1メートル半ほどの碑が立っている。筏乗りたちは、この念仏車のところに来ると一休みして、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら車を回し、道中の無事を祈った。
《引用文献》平野順治,2008,大田区郷土の会,『多摩川の筏道流し』,p233-234
10.「知行院」前はメインストリート
世田谷区の住宅街にあるお寺「知行院」の前には東西に走る道があります。
この道は筏道でした。
そして筏乗りたちが頻繁に通った知行院のまわりには、たくさんのお店が並んでいました。
お店が並ぶその様子を、世田谷区の図書館の資料からイラストにしました。
つぎのリンク先に記事があります。
11.野毛の渡し跡
この石標は多摩川を向いて建っています。
ここから画面の右方向へ100mほど行ったところに渡し場がありました。
野毛の渡し跡に関係した記事は、次のページにもあります。