多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

多摩川が蛇行した旧流路を資料で見る

 

かつて、多摩川は「暴れ川」と言われていました。

大きな台風が来ると、そのたびに多摩川には大水が出たのです。

昭和49年の洪水では、東京都狛江市の多摩川近くに被害が出て、いくつかの住宅が川に流されニュースになったことは記憶に新しいです。

そして、多摩川に近代的な堤防ができる前は、大水のたびに多摩川は蛇行したのです。

ここでは、多摩川の蛇行の跡になる「旧流路」について、二つの資料を見ることにします。

 

河口付近の蛇行図

下の図は、多摩川の蛇行を示しています。

多摩川右岸の河口近くの図です。

時代は「六郷領川崎の頃」とありますので、江戸時代と思われます。

図のなかで、点線が旧流路です。

では、赤丸線の範囲Aに注目します。

 

下野毛、等々力を拡大する

 

旧流路に色付けして比較する

上の図の範囲Aにある旧流路の線を、川崎駅近くまでトレースしたものが下の図です。

青色の旧流路と水色の現流路とを比較すると、旧流路の蛇行が確認できます。

 

府中本町駅近くの旧流路

次の図は、別の資料からのものです。

出典元のタイトルには「分倍河原の旧流路」とあります。

分倍河原の読みは「ぶばいがわら」です。

この分倍河原とは、府中市にある古くからの地名で、JR分倍河原駅もあります。

 

この図には、JR府中本町駅谷保駅が確認できます。

そして図の青色線は、多摩川の旧流路です。

現在の流路とは、かなり違った流れ方になっています。

 

 一覧ページへもどる 

筏流しと筏道に関連するはなし