多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

高津区にあった長崎堤防の名前の由来

 

北見方には長崎堤防があった

では、当サイトの別の記事、
「右岸の筏道(3) 引用文献から明治期の地図に右岸順路を描く」の
「平間〜諏訪の一本松」
で使った引用文を確認します。

つぎのような内容です。

その先は無堤防なので、丸子、小杉、宮内と府中街道を歩き、北見方の長崎堤防を通って、諏訪の一本松のところに出る

《引用文献》平野順治,2008,大田区郷土の会,『多摩川の筏流し』,p237

注:北見方・きたみがた

この引用文には「北見方の長崎堤防」という言葉が出てきました。

「北見方」というのは川崎市高津区の町名で、古くからある名前です。

 

北見方には長崎山もあった

上の引用文には「北見方の長崎堤防」とあるので、北見方について別の資料を見ることにします。

次は別の資料からで、北見方地区、通地名 長崎山、とありました。

北見方(きたみかた)地区

通称地名  表、六反圃、高橋、定使免、長崎山、

 

注:資料の一部を抜粋して使用

川崎市の地名に関する調査研究及び普及啓発業務委託
川崎市 中原区高津区・宮前区の町名の移り変わり」,p20
川崎委託事業報告書,2019 年(平成 31 年)3 月,川崎市

ここまででわかったのは、北見方には「長崎山」と「長崎堤防」があったということです。

 

地名辞典で長崎山の所在地は「北見方355」

では、長崎山について、地名辞典を見るこにします。

次のようにありました。

通称地名
長崎山
北見方355。名主の長崎家の屋敷のあった地。

《引用文献》(編)日本地名研究所,2004,川崎市,『川崎地名辞典・上』,p339

ここで具体的な所在地の「北見方355」という言葉が出てきました。

そして長崎山の所在地は「北見方355」だということです。

 

「北見方355」を古い住宅地図で探す

地名辞典には、長崎山の所在地は「北見方355」であるとありました。

そこで「北見方355」が記載された古い住宅地図を探したところ、次の地図に「北見方355」がありました。

地図名:高津区(東)明細地図 
発行年:昭和56年度版
発行 :(有)経済地図社
編・発行人:今野繁光
ページ:53

この地図から「北見方355」の位置を確認しました。

 

新旧の地図で見る「長崎山」と「長崎堤防」

「北見方355」は、現在の地図ではどこなのか

「北見方355」の位置を、明治時代の地図で見る

 

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