多摩川の筏道

筏乗りたちが歩いた道を散策するための案内マップ

多摩川の急傾斜は、筏流しに向いていた

 

「急坂」という言葉があります。

これは、坂の傾き具合が急になっていることです。

そしてこの傾き具合を「勾配」(こうばい)といいます。

川にも傾斜があった

じつは、河川にも勾配があります。

河川の勾配は「河床勾配」(かしょうこうばい)といいます。

 

疑問:多摩川の河床勾配は、筏流しをするのに都合が良かったのか

では、多摩川の河床勾配をいろいろな河川と比較してみて、この疑問を解くことにします。

 

疑問の考察:多摩川の縦の断面図を見る

次の図は、多摩川の縦断面のイメージ図です。

図の中で、各所の数値は標高を示しています。

脚注1 《引用文献》多摩川の概要 | 京浜河川事務所 | 国土交通省 関東地方整備局

 

疑問の考察:他の河川の河床勾配と比較する

《出典》東京都水道局,東京都水道局,水源・水質,2024年2月1日
安定した水源の確保 | 水源・水質 | 東京都水道局  記事より記号等を追加して作成

 

多摩川木曽川と外国の河川の勾配比較

上図の中の、多摩川木曽川に注目します。

  1. 多摩川木曽川は、どちらも筏流しが行われていました。
  2. この図からわかるのは、二つの川の勾配は同じように急勾配です。
  3. 多摩川木曽川を、コロラド川などと比べると、勾配がたいへんに急だということがわかります。
  4. この図にある外国の河川から見ると、多摩川木曽川は「激流」という表現になるでしょう。
  5. 狭い国土に山が多い、日本の河川の特徴を表しています。

 

筏流しが盛んになった理由

上の図にある日本の五つの河川の勾配はかなり急です。

では上の五つの河川の全てで筏流しが行われいたのでしょうか。

答えは、いいえです。

その理由を以下に示します。

 

まず、業務として、産業としての筏流しをする河川は限られていたはずです。

それは、筏流しが仕事として成り立つ必要があったからです。

 

筏流しを仕事として行うには、運ぶ筏の量と、仕事の継続が必要です。

一本、二本の材木を流していたのでは仕事になりません。

 

では、多摩川で筏流しが盛んだったというのは、なぜでしょうか。

以下は、考えられる内容です。

  1. 上流の奥多摩には豊富な森林があった。
  2. その森林から取れる木材を大量に消費する消費地、江戸の町が下流にあった。
  3. 江戸の町は年間を通じて大火が頻発し*1、大量の木材の供給が必要だった。
  4. 木材の供給については、多摩川を流れた筏の数から算出したところ、江戸時代後期1842年の年は、年間約22万本の木材が江戸に届けられた*2
  5. 奥多摩は江戸の町に近いので、奥多摩からの江戸までの木材の輸送は数日で可能だった。

以上のことが、ひとつの要因ではないでしょうか。

疑問の答え

以上の四つの事柄から、多摩川は筏流しに向いていた、と言えそうです。

 

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