はじめに
はなしの背景
江戸時代の江戸の町には大きな火事が頻繁に起きました。
その火事の詳細は別の記事にしていますので見てください*1。
そして火事の復興のために「青梅材」といわれた奥多摩の木材が、筏流しで運ばれたのです。
また、筏流しは大正時代まで続き、その間、建築現場の足場材としての丸太材の需要も多くあったと聞きます*2。
そこで、多摩川を流れた筏の数と、筏を組むのに使った木材の量を調べることにしました。
筏の量を推定することで、筏の上に乗っていた筏乗りたちの活躍ぶりも想像できます。
目的
多摩川を流れた筏の数と木材の量を推定する。
方法
現在では筏流しはありませんので、資料を使って調べることになります。
また、この目的のためだけの資料はありませんので、いくつかの関係する資料を探します。
筏の種類
次の引用は筏の種類についてです。
多摩川の筏には、角筏・長杉筏・切杉筏・うけ筏・竹筏などがあった。このうち江戸後期からその枚数が多く、川下げ筏の主力をなしていたのは、角筏と長杉筏の二つである。
そしてこのページでは、長杉筏(ながすぎいかだ)と角筏(かくいかだ)の二つについて調べます。
筏の姿・寸法
長杉筏(ながすぎいかだ)
《引用文献》平野順治,2008,大田区郷土の会,『多摩川の筏流し』,p68
長杉筏の寸法
- 長杉筏を組むのに使った木材は、建築現場の足場材として利用されました。
- 全長は48尺とありますので、現在の単位では約14mになります。
- 幅は広い方で3尺とありますので、約0.9m(90センチ)です。
- 筏の細い方を前にして流れます。
角筏(かくいかだ)
《引用文献》平野順治,2008,大田区郷土の会,『多摩川の筏流し』,p72
角筏の寸法
- 角筏を組むのに使った木材は、建築材として使われた角材です。
- いくつかの種類があり、三寸角(9センチ角)、四寸角、五寸角がありました。
- 長さは50尺とありますので、約15mです。
- 幅は広い方で10尺とありますので、約3mです。
- 筏の細い方を前にして流れます。
多摩川を流れた筏の数
次は三つの資料からの引用です。
以下は、上の表の作成に使った三つの引用文献です
書名 :新多摩川誌 本編〔中〕
発行年:平成13年7月20日
企画 :国土交通省関東地方整備局京浜工事事務所
編著 :新多摩川誌編集委員会
発行 :財団法人河川環境管理財団
ページ:715
書名 :大田の史話その2
編者 :大田区史編さん委員 新倉善之
編集 :大田区史編さん委員会事務局企画部広報課区史編さん室
発行年:昭和63年3月
ページ:218-219
書名 :近世関東の水運と商品取引 渡良瀬川・荒川・多摩川流域を中心に
発行年:2013年5月
著者 :丹治健蔵
発行 :岩田書院
ページ:431-432
一枚の筏で使う木材の量
次は二つの資料からの引用です。
資料1と2に共通していることは、筏の種類が示されていないことです。
以下は、資料1、2の作成で使った引用文献です。
資料1
書名 :新多摩川誌 本編〔中〕
発行年:平成13年7月20日
企画 :国土交通省関東地方整備局京浜工事事務所
編著 :新多摩川誌編集委員会
発行 :財団法人河川環境管理財団
ページ:714
資料2
署名 :多摩川の筏流し
発行年:2008年
著者 :平野順治
発行 :大田区郷土の会
ページ:67-72
結果
項目「筏の姿・寸法」から
- 長杉筏は約14m、角筏は15mにもなります。
項目「多摩川を流れた筏の数」と「一枚の筏で使う木材の量」から
江戸時代後期、1842年の年間の木材は22万7千本
- 筏の数と、一枚の筏で使う木材の数から、年間の木材量を出します。
- 二つの資料で同じ年は1842年です。
- 1842年の筏6893枚 ✕ 1842年の筏一枚の木材33本=227469本
- この年は約22万本の木材が、奥多摩から江戸の町へ運ばれたのです。
明治6年は、約100万本の木材が運ばれた
次は明治時代の始まりのころを見ることにします。
- ここでは、おなじ年のデータが無いため近い年のデータを使いました。
- 筏の数は明治6年(1873年)の5967枚です。
- 一枚の筏の木材数は、明治8年(1875年)の170本という数値を使います。
- そして年間の木材数は、5967✕170=1014390
- 結果、明治6年は、多摩川を流れて運ばれた木材は約100万本でした。
江戸時代から明治時代になるにつれて、筏に使う木材の数が増える
資料1を見てわかること
- 1840年の筏一枚に使う木材数は30本台です。
- その後、明治元年には、筏一枚に使う木材数は170本台へと増大しています。
資料2を見てわかること
- 資料2の年代は不明ですが、角筏一枚に使った木材は200本でした。
考察
筏の数について
- 資料の数値は「年間」の場合です。
- ところが、筏流しができる期間は、9月中旬から翌年の春まででした。
- その半年間で、江戸時代の1860年代の筏の数は5000から6000枚あります。
- 半年間の間で、これだけ大量の筏を流すことができたのでしょうか。
- 奥多摩の筏乗りの数は、ほぼ決まっています*3。
- これを解決するためには、ひとつの筏流しで、何枚もの筏を流する必要があります。
資料1と2を見比べて
- 江戸時代の1840年から時代がすすみ明治時代になるにつれて、筏に使った木材の数量が増えています。
- このことは、江戸の大火で大量の木材が必要だったということと、明治時代に入ってからの建物の新築に関係しているのでないでしょうか。
- 建物の新築については、海外から伝わった工業製品の製作のために工場が新築されたことが考えられます。
結論
明らかになったこと
年間を通して、多摩川を流れた筏の数と、一枚の筏に使う木材の数を示すことができた。
明らかにならなかったこと
江戸時代の1860年台、筏乗りの員数がほぼ決まっているなか、筏を流すことのできる半年間の間で約5000から6000枚、あるいは8000枚の筏を流すにはどのような方法があったのか。